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1988年、PRISMのコアとなる Action がリリースされた。
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オムニバス社 で C言語で書かれたPRISMが誕生する。
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オムニバスが破産後、SideFX社が設立され引き続きPRISMが引き継がれた。
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SideFXでPRISMの後継としてC++でHoudiniが開発され、1995年にSideFX Houdini が誕生した。
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2000年、PRISM、Houdiniに関わったグレッグはデリバティブ社を設立しTouchDesignerの開発を開始
【第13回/2012年10月号】Side Effects Software |Visiting Production 会社訪問|EE.jp
会社が倒産した時に二人の人物がPRISMSというソフトを使っていた
PRISMSのようなCGソフトがペイント、合成、3Dアニメーションでデジタル映画製作を向上させた、ということで技術賞の対象になりました。
PRISMはDisney社のTRONなどで採用されるなどCG会社のトップでした。
1998年までの11年間エンドユーザーにライセンス供与し、PRISMSは200を超える長編映画で使用され、1998年に最初のアカデミー賞を受賞しました。
PRISMSがあってそれからHoudiniができました。多くの人からなぜ Houdiniを作ったのか聞かれました。理由は2つあります。PRISMSはC言語で書かれていてC++コンパイラを使えなかったこと、そのために最新のコンパイラや光学的な技術が使えなかったから
今ではネットワークやノードを書くことができたため、インターフェイスにグラフィックなイメージをつけようと思いました。それで全コードを変更し、ボタンの集積からきれいなネットワークへとグラフィックなレイアウトに変更することにした
コンセプトは同じですがそれに多くの脚をつけ足したんです。こうしてHoudiniが誕生しました。それにはおよそ2年位かかりました
1987 年、 3D グラフィックスの裾野を広げるチャンスを得た Davidson(キム・デビッドソン)と Hermanovic(グレッグ・ヘルマノビッチ)は、 Side Effects Software 社を設立し PRISMS の販売を開始しました。
PRISMS は、プロシージャル グラフィック アプリケーションとして Houdini の礎を築きました。
TouchDesignerへ
リアルタイムレンダリングに興味を持ったHermanovic(グレッグ・ヘルマノビッチ)は、2000年にカナダ トロントでderivative社を設立。
設立した2000年、Houdini 4.1コードベースを流用してTouchDesignerを開発した。
TouchDesignerの最初の世代は2002年~2007年の間にTouchDesigner007~017としてリリースした。
2008年に次世代のTouchDesigner 077 ベータ版をリリースしました。これは、GPU、新しいユーザーインターフェイスなどを使用した、完全に手続き型のOpenGL合成およびレンダリングシステムを組み込んだ、以前のバージョンの書き直しです。今日のTouchDesigner099は、その次世代プラットフォームの最新の進化形です。
TouchDesignerについて-NODEInstitute
インタビュー#28-グレッグ・ヘルマノビッチ(元 Houdini、PRISM開発者)
Psstインタビュー#28-グレッグヘルマノビッチ-YouTube
オムニバス社のR&D開発責任者として参加していた。
ice は TouchDesigner の TOPS の先駆けだった。ice はノードで合成されていて全てがインタラクティブに行われていた。
2人のプログラマーと開発を開始した。チャンネルオペレーターのCHOP。
CHOPは基本的に数字のサンプルのため、音楽合成によく似ている。物事を簡素化するためにCHOPを開発した。
当時はリアルタイムでライブビジュアルを作成することができなかった。
サウンドに比べて多くの計算が必要なため、100万ピクセル処理する場合膨大な計算量となった。
2002年頃、ゲーム用VGAカード(nVidia、ATIなど)の性能が飛躍的に向上していたため合成エンジンを再設計した。それがターニングポイントとなった。
GPUで処理することで手頃なビデオカードで音声からリアルタイムで3D合成してライブビジュアル作成が実現可能となった。
その後TouchDesignerは2,3年かけて進化したが、簡単に使えるようにするために多くの修正が必要なった。3年間地下にもぐりTouchDesigner 077,088 の開発をしTouchDesigner にPythonを入れて出てきた。
私達の開発の1年で行うことの多くは、その年に計画されているものに基づいており、残り半分は実際にユーザーが生成したものであるとは予想されないものに基づいています。
これまで聞いたことのないテクノロジーについて、今年の初めに kinect と ylim bingo のことは聞いたことがありません。
一部は機能を拡張し、一部は物事を簡素化するために製品の次のステップも慎重に計画します。
個人的には、ソフトウェアが自分の考えていることを実行できるか確認するために愚かなツールの開発に多くの時間を費やしています。
いくつかのアイデアを試してみて、行き詰まった場合はプログラマーに聞くことができる幸運な立場にいます。あるタスクを解決するための迅速なフィードバックを得ることができます。
私達は特定の目的のためにツール開発をしているので最初のテストは社内チームによって行われます。
それからコミュニティに少し出してどのように使われるかを確認し、改良してから磨きますが私は、私のためだと思っています。私はもうコーディングはしていないので、プログラミングではなくタッチデザイナーで全てをやりたい。Pythonスクリプトが好きで、それも素晴らしことですがやりたくないです。
物事が難しくなりすぎたらプログラマーに戻ってこれを作ってリリースします。それはみんなを助けているようなものなので本当に楽しんでいるようなものです。
開発と最終結果の種類が一種のばかげたアプリケーションであるということはそれほど重要ではない。
物事を非常に簡単にするために多くの場合、人々は自分が何を望んでいるのかわからず、求めたくないのですが、それを観察する必要があります。
そうすれば、物事を簡単にする新しいものを設計することがわかります。それがエンジニアリングの一部であり、常にやるべきことがたくさんあります。